所在地:北海道函館市末広町14-12

金森赤レンガ倉庫の歴史:

*1863(文久3年)・・・大分県出身の渡邉熊四朗氏が函館にやってきました。

*1869(明治2年)・・・金森森屋洋物店を開業。

*1887(明治20年)・・・函館初の営業倉庫業開始。 当時、渡邉氏は函館の将来動向を分析し今後、倉庫が必要になってくるだろうと考えていました。そんなころ、ちょうど他社が合併によって倉庫が不要となっていたので、その倉庫を買い取って営業倉庫業を始めました。これが金森赤レンガ倉庫の始まりです。それまでも函館に倉庫は在りましたが商人や海運会社が自分の営業のために使っていました。しかし、渡邉氏の始めたのは、他人の物を預かる営業倉庫でした。

1899(明治32年)・・・新商法施行。新商法の中に「倉庫営業」という独立した項目が記載されました。

倉庫証券について:

倉庫証券というのは、簡単に言うとの荷物の預かり証とか引換え証みたいな感じです。物を預けた時に渡されます。普通の預かり証であれば、荷物を返してもらう時に使います。つまり、預かり証と引き換えに荷物を返してもらいます。倉庫証券にもこのような性質が有りますが、少し違った所があります。違う所は以下のとうりです。



倉庫証券を使うことにより荷物の売買が簡単になる

たとえばAさんが倉庫に預けてある荷物をBさんに売る場合に実際に荷物を持って行かず倉庫証券を持っていきます。AさんはBさんに倉庫証券を渡しBさんはAさんにお金を払います。そうすると倉庫の荷物はBさんの物になります。Bさんは倉庫に行って、倉庫証券と引き換えに荷物を受け取ることも出来るし、そのまま預けて置くことも出来ます。


倉庫証券を使ってお金が借りられる

倉庫証券を担保にすれば、銀行でお金が借りられます。つまり、銀行は倉庫証券を預かることによって、倉庫に保管してある荷物を担保に取ることが出来ます。

金森赤レンガ倉庫の発展の理由:

明治20年代の後半ごろから倉庫業が急速に発展していきました。 金森赤レンガ倉庫も、どんどん発展しました。どうして、金森赤レンガ倉庫の様な営業倉庫が発展したのか考えてみます。

倉庫証券を使うことにより荷物の売買が簡単になる

金森赤レンガ倉庫に荷物を預けて移動コスト削減。

お金を借りる時に便利

これにより函館の金融市場全体が活性化します。

倉庫にかかる費用削減

自分で倉庫を造ると土地代や建物建設費、倉庫を維持する人件費が掛かります。でも営業倉庫を借りればこれらの費用が節約できます。


つまり、金森赤レンガ倉庫などの営業倉庫は、函館の商業界全体が共通で利用できる便利なコスト削減施設であったといえます。また、コストが削減されるということは単純にいって儲かると言うことです。儲かったら商売を拡大したり、従業員の給料を上げたりもできます。商売を拡大したり、従業員がお金を使えば函館の市場全体が繁栄します。したがって、金森赤レンガ倉庫はお客である荷物を預けた会社だけでなく、函館全体の発展に貢献していたということができます。


現在の金森赤レンガ倉庫:


函館の発展と衰退

函館は開港した当時は、函館山の麓の辺りが中心でした。江戸時代から明治時代になり、それから大正、昭和、函館の街はどんどん発展してゆきました。1868年(明治2年)函館の人口は 19,223人、1889年(明治22年)には 52,909人、1920年(大正9年)は 114,749人、ピークは1985年(昭和60年)の 342,540人です。人口増加に伴い、函館の街は函館山の麓の辺りから内陸部へどんどん広がっていきました。
しかしその後、人口はどんどん減り始め2010年(平成22年)には、279,127人となりました。これは、①昭和の終わりごろから、飛行機の時代になり北海道の玄関口が函館ではなく札幌になったこと。②200カイリ問題で北洋漁業が縮小し、また函館ドックも不調となったこと。さらにただでさえ弱っている函館に対し③バブルの後遺症、2000年代に入ってからもコスト削減(特に人件費)等により人材流失=人口減少。④公共事業削減等色々な要因によるものです。


金森赤レンガ倉庫、これからどうしよう

金森赤レンガ倉庫は函館山の近くにあります。函館の街が内陸部へ広がったことにより、色々な港湾施設も移動していきました。ちなみに東日本フェリーの乗り場は、昔は金森赤レンガ倉庫の近くにありましが現在は港町の方へ移動しています。港湾機能の移動や北洋漁業の縮小等社会的環境の変化により、だんだん預かる荷物も減ってきてしまいました。


金森赤レンガ倉庫、観光業に転換


これからの函館は観光業がいい

①不景気で物流も不調、公共事業も削減、人材も流失、衰退を続ける函館ですが、いいものが一つだけありました。観光資源です。函館は三方を海に囲まれ独特の形をしています。社会環境が変化しても、地形は変わりません。また、函館港が早くから開港したため、教会や旧領事館、旧函館区公会堂など、色々な観光名所があります。②函館は衰退し続けているので、どの業種でも小さくなっていくパイの奪い合いです。でも観光業だったら観光客は他の地域から来るのでパイは拡大させることが出来ます。


金森赤レンガ倉庫も観光資源

函館の観光名所は函館山の麓の辺りに集中しています。金森赤レンガ倉庫も函館山のすぐ近くにあります。よく考えてみると、金森赤レンガ倉庫のある場所は観光客に来てもらうには好立地です。それで、倉庫からショッピングモールに転換しました。現在では金森赤レンガ倉庫は教会や公会堂に並ぶ函館の貴重な観光資源です。




冬の赤レンガ倉庫



金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











金森赤レンガ倉庫群の画像











夏の赤レンガ倉庫



金森赤レンガ倉庫群の画像

函館山から見た緑の島





金森赤レンガ倉庫群の画像

緑の島から見た赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫群の画像

冬の函館赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫群画像

冬の函館赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫群の画像

冬の函館赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫群の画像

緑の島から見た夏の函館赤レンガ倉庫

左に見える船は観光遊覧船ブルームーンです。

金森赤レンガ倉庫群の画像

夏の函館赤レンガ倉庫とヨットハーバー


函館山周辺(西部地区)
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