所在地:北海道函館市五稜郭町43
交通:市電五稜郭公園前徒歩15分

函館奉行所(函館五稜郭公園内):


函館奉行所五稜郭へ移転

江戸時代の終わりごろ函館奉行所は、現在の元町公園のあたりに在りました。そしてそのころ函館が開港すると、たくさんの外国船が、函館港に入港するようになりました。元町公園のあたりは函館港がよく見えるので、外国船を見張るにはちょうどいい位置でした。しかし、港にあまりにも近すぎるので外国船からの大砲の弾が函館奉行所までとどいてしまいます。また、函館山に登ると、奉行所が上から丸見えです。これでは防衛上、好ましくないということになり、船からの大砲の弾がとどかない所に移転しようということになり、現在の場所に五稜郭を造ることになりました。
当時の正式名は五稜郭ではなく、亀田役所土塁(どるい)でした。また、奉行所の五稜郭への移転と並行して、函館港の防衛のため弁天に、砲台(弁天台場)を造ることも決定されました。(弁天台場は現在は有りません。)設計は両方とも武田斐三郎と言う人が行ないました。
工事は弁天台場から始まりました。1856(安政3年)に着工し、1864(元冶元年)竣工、五稜郭は1857(安政4年)に着工し、弁天台場と同時期にほぼ完成しました。函館奉行所は1862(文久2年)に着工し、これも同時期に完成しました。このほぼ完成になった1864年に引越しが行われ五稜郭内の函館奉行所の業務がスタートしました。


函館奉行所明治政府に引き渡し

1867年(慶応3年)大政奉還、幕府が朝廷に政権を返しました。そして1868年(慶応4年)4月、幕府のお奉行さんから明治政府の人に五稜郭と函館奉行所が引き渡されました。 そして同年の5月、函館奉行所は函館裁判所になりました。裁判所と言っても現在のように司法機関 として裁判ばっかりやってる所ではなく行政機関として北海道開拓とかもやりながら裁判もやる所でした。


榎本軍、五稜郭占領

1868年(明治元年)10月、旧幕府軍が函館にやってきて五稜郭を占領しました。函館奉行所は旧幕府軍の作戦司令部みたいな感じになりました。函館戦争は7か月続き、旧幕府軍が降伏して五稜郭を明け渡して終わりました。

函館奉行所は1871(明治4年)解体されます。現在建っているのは、2010年に再建されたものです。

函館五稜郭公園の中にある大砲:

五稜郭公園の中には二つの大砲があります。一つはクルップ砲(写真上から2番目)もう一つはブラッケリー砲(写真上から3番目)です。公園内の説明書きによると詳細は以下のとうりです。


クルップ砲

旧幕府軍の軍艦に撃沈された新政府軍軍艦朝陽の大砲で、ドイツクルップ社製、推定射程距離3000メートル、1932(昭和7年)七重浜埋め立て工事の際に発見されたそうです。


ブラッケリー砲

旧幕府軍が築島台場に設置していたもので、イギリスオードナンス社製、推定射程距離1000メートル、1961(昭和36年)函館市内豊川町で発見されたようです。

函館五稜郭タワー

現在建っているタワーは2代目五稜郭タワーです(写真上から5番目と6番目)。


初代函館五稜郭タワー

初代函館五稜郭タワーは1964(昭和39年)に開業し、2006(平成18年)3月31日まで活躍しました。タワーの高さは60メートル、展望台は45メートルでした。


2代目函館五稜郭タワー

2代目函館五稜郭タワーは2006(平成18年)4月1日から開業しています。当時、初代五稜郭タワーのすぐ横で、2代目五稜郭タワーの建設が行われていました。2代目が完成し1代目が取り壊されるまで函館には2つの五稜郭タワーが建っていました。
2代目函館五稜郭タワーの高さは90メートル、展望台は1階は86メートル、2階は90メートルです。タワーの高さは 1.5倍、展望台の高さは2倍になりました。

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

五稜郭公園の画像

函館五稜郭公園の画像

函館五稜郭公園の画像

函館五稜郭公園の画像

函館五稜郭公園の画像

函館五稜郭公園の画像