所在地:北海道函館市元町15-30
函館カトリック元町教会の歴史:
函館港開港
*1858(安政5年)・・・徳川幕府は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとの間で修好通商条約を締結。これにより横浜、長崎、函館、神戸、新潟が貿易港として開港することになりました。
当時、日本ではキリスト教が禁止されていましたが、条約によって、外国人の居留地を決め、その中ではキリスト教の施設を作ってもいいことになっていました。
カトリック元町教会の始まり
*1859(安政6年)・・・カトリックのメルメ神父函館着任。最初は、称名寺というお寺の境内に家を借りて、そこで活動していました。
メルメ神父は、琉球(沖縄)で日本語の練習をしてきたので、日本語が上手すぎて、最初、役人に怪あやしまれたりしました。しかし、性格もよく、立派な人だったし、なにより熱心に活動していたので、だんだん評判が良くなり、函館の人たちが遊びに来るようになりました。自ら日本語を学んだり、函館の人にフランス語を教えたり、アイヌ語の勉強もしていました。また、近代的な病院を作る計画も持っていました。しかし、遠いフランスから来てくれる医者や看護師はなかなか見つからず、そうこうしているうちに、ロシアの宣教師が立派な病院をたてました。メルメ神父は函館に近代的な病院を作ることは出来ませんでしたが、多くの功績をのこして、1863(文久3年)フランスに帰りました。
カトリック元町教会小さな聖堂建築
*1867(慶応3年)・・・ムニクー神父、アルムブリュステル神父函館着任。二人は小さな聖堂を建てました。この1867年というのは、どんな年かと言うと、大政奉還が成立した年です。大政奉還と言うのは、幕府が、朝廷に政権を返すということです。そして翌年1868年9月8日には、明治元年となりました。そして、函館には、新しく新政府の知事さんが着任しました。これまでの幕府のお奉行さんは、そんなに厳しくは、キリスト教を、取り締まってはいなかったのですが、新しい知事さんは、キリスト教を禁止するという高札を町に立てキリスト教を厳しく取り締まりました。これにより、日本人への布教は、かなり困難になりました。そしてこの年、函館戦争が始まりました。幕府軍が、函館に上陸してきて函館を占領するとキリスト教禁止の高札が取り外されました。しかし、今度は官軍が上陸してきて官軍が逆転勝利しました。そうすると再び禁止の高札が立ちました。
キリスト教公認
*1873(明治6年)・・・キリスト教公認。新政府になってもキリスト教は禁止されたままでしたが、ついにこの年解禁になりました。新政府は、早くヨーロッパやアメリカの様な近代国家の仲間入りがしたかったのですが、このためには、キリスト教を公認する必要がありました。キリスト教を禁止していると、外国からの評判がすごく悪くなってしまうからです。
カトリック元町教会大きい聖堂建築
*1875(明治8年)・・・マレン神父函館着任。マレン神父は木造の聖堂を建てました。今度は前より大きいのを建てました。
*1887(明治20年)・・・ベルリオーズ神父着任
*1907(明治40年)・・・函館大火で聖堂焼失。
*1910(明治43年)・・・二代目教会堂再建。二代目はレンガ造りで再建されました。
*1921(大正10年)・・・再び火災で焼失
*1924(大正13年)・・・再建。焼け残ったレンガを使ってゴシック様式の建物として再建されました。これが現在のカトリック元町教会の建物です。
現在のカトリック元町教会:
カトリック元町教会は大三坂(だいさんざか)と言う坂を登った所に在ります。カトリック元町教会のすぐ隣には、ハリストス正教会と聖ヨハネ教会と東本願寺函館別院が在ります。分裂したローマ・カトリックと正教会とプロテスタントの教会、それと仏教のお寺が仲良く並んでいます。ちょっと不思議な景色です。