所在地:北海道函館市末広町4-19
旧丸井今井デパート函館店の歴史:
*1871(明治4年)・・・今井藤七(いまいとうしち)と言う人が新潟から函館にやって来ました。今井藤七氏は函館で陶器商の武富平作と言う人の店で奉公しました。
*1872(明治5年)・・・その後札幌に移り、小さなお店を開業しました。今井氏は、誠実な人柄で、評判もよく、真面目に、一生懸命働いたので、お店はどんどん繁盛しました。。
*1874(明治7年)・・・お店を移転して新築、丸井今井呉服店を開店。
*1888(明治21年)・・・今井洋装店を開店。和服だけでなく洋服の販売も始めました。
*1890(明治23年)~1897(明治30)・・・最初、商品は函館の問屋から仕入れていましたが、このころから、東京の問屋から直接仕入れるようになりました。これにより、良い商品を今まで以上に安く販売出来るようになり、北海道の人々の評判がどんどん良くなりました。そして、このころ北海道の各地に支店を開店しました。函館支店は1892(明治25年)に開店しました。この時は、まだ呉服店でした。
*1916(大正5年)・・・札幌の本店がデパートとして営業を開始。
*1923(大正12年)・・・函館支店がデパートとして営業開始。この時、大理石の柱があるかなり立派な建物を建てました。この当時は東京のデパートでも、木造のものが多かったそうです。当時の函館はすごく勢いがあったのだと思います。それと、函館は大火が多いので、燃えにくい建物をどんどん建てていたからだと思います。
*1930(昭和5年)・・・函館支店増築。5階建になって、当時は珍しいエレベーターも付きました。。
*1934(昭和9年)・・・函館大火発生。函館支店は燃えてしまいましたが、鉄筋コンクリート造りで復活しました。この時に、地上5階建、地下1階、搭屋2階建てになりました。
*1959(明治34年)・・・函館で初めてのエスカレーターを付けました。
*1969(昭和44年)・・・函館支店が五稜郭地区に移転。函館市電の電停、五稜郭公園前の所へ移りました。函館の街は昔、海に突き出している函館山の麓の辺りにありました。函館が発展するにつれ、函館の街はどんどん内陸の方へ広がっていきました。これにより、函館の中心もどんどん内陸の方へ移動していきました。最初のころは函館の中心街は、丸井今井デパート函館店があった末広町の辺りにありました。それから、大門地区(函館市電函館駅前電停~松風町電停あたり)、五稜郭地区、いまでは、美原地区と移動しています。丸井今井函館店の移転は、函館の中心街が大門地区にあったころです。丸井今井函館店が五稜郭に移転するとたちまち五稜郭地区が元気になり、大門地区にどんどん追いついていきました。丸井今井が移転した後は、函館市の水道局がこの建物を使っていました。
*2007(平成19年)・・・水道局が2002年に移転してしまい、長い間空家でしたが、改修工事が行われ、その後、函館市地域交流まちずくりセンターになりました。ほんとは、5階建てのままが良かったんですが、だいぶ古くなっているので、耐震のことを考え、3階建てになりました。4階と5階はとってしまったみたいです。そして、大正12年当時のドーム型のものが、上にくっ付きました。当時の姿に近ずけるためだと思います。しかし、昭和に入って増築された、エレベーターと搭屋の部分は残されました。後ろの方から見るとちょっとへんなんですけど、慣れればまあいっか!
函館市地域交流まちづくりセンター
函館市地域交流まちづくりセンターというのは函館地域の市民交流や町づくり活動をサポートするところです。観光案内もやってます。1階には案内カウンター、カフェ、観光パンフレットコーナー、情報検索コーナーが有ります。当時の手動式エレベーターもまだあります。昔の建物なのですごく立派です。西部地区などを回った後に、ちょっと休憩するのに最適です。
昭和になって増築されたエレベーターと搭屋の部分
大正12年に竣工した当時はこの部分はありませんでした。
竣工当時のドーム部分
平成の改修工事で、エレベーターと搭屋部分を残して4階5階を撤去、3階の上に竣工当時のドームを復元
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地域交流街づくりセンター前を通過する函館路面電車
函館路面電車は十字街電停から左に曲がる谷地頭行と右に曲がる函館ドック前行があります。函館ドック前行は地域交流街づくりセンターの辺りで、右に曲がります。
五稜郭地区に移転した丸井今井デパート